海鳴の記

お祭り見物が趣味のディレッタント。佐渡民謡の担い手です。

七尾祇園祭(R5.7.8)

7月8日、七尾祇園祭に行きました。大地主神社の夏祭りで「東のお涼み祭」というそうです。

浜に作られた御仮屋にお神輿が安置され、そこに奉燈が集っています。20時半ごろから雨が本降りになってきて大変そうでした。21時半ちょうどに花火が上がるのを合図に神輿還御スタート。

左下が御仮屋で、お参りすると太鼓を鳴らしてお祓いしてくれました。

町中を列をなしてゆく奉燈。順番は事前に決められているそうです。

神社に到着すると境内の薪の周りを3周します。ラストスパート!

お神輿を神社の前に捧げて御霊を返し、また蔵に入れます。ここでお神輿を担ぐときの掛け声は「ちょうさ」でした。同じ日に宇出津のあばれ祭りもあったみたいですが、ここでも「ちょうさ」と担ぐそうです。佐渡相川は「ちょうさや」ですよね。

最後に「七尾まだら」を踊って終了!この頃には雨も上がって良かったですね。皆さんお疲れさまでした。

以下ギャラリー。

郡町西部。背面は上杉謙信武田信玄でしょうか?

湊町一丁目。元気がよかったです!

山王町。「破天荒」と書いてあります。

神輿還御の行列。格子戸のあるお宅がいいですねえ。

夕方の御仮屋。高張提灯がいいですね。



和倉温泉お祭り会館、七尾城、大地主神社(R5.7.8)

七尾祇園祭を見るために七尾市に行きました。夜行バスで金沢、JR七尾線七尾市入り。キジやサギの飛び交う田んぼの中を東に突っ切ってあっという間に七尾に来ました。能登では朱鷺の放鳥を考えているそうですが、ここなら大丈夫かもなあと思いました。

まずは和倉温泉お祭り会館へ。七尾の四大祭りの展示があり、丁寧に説明してもらえました。石崎奉燈祭、青柏祭、向田の火祭り、お熊甲祭の4つですね。今回見に行った七尾の祇園祭の神社は青柏祭と同じ大地主神社のお祭りで5月にあります。今年は祭りの最中に珠洲地震が起き、心配していましたが、なんとか被害はなかったようです。ちなみにこの日は能登町の宇出津あばれ祭りの日でもあったため、そちらに行く観光客もいると説明されました。和倉温泉と結ぶシャトルバスも出ていたようなのですが、今回は七尾祇園祭。あばれ祭りも行ってみたいですよね。

これ奉燈に書いてある文字なのですが、なんと毎年書家が直筆で書いているそうです。使いまわしかと思ったら(失礼)すごいですね。いやいや、こういうの使いまわすところ結構あると思うんですよ。更新しているのはすごいですよね。あと、「よばれ」と言って友人や知人をお祭りの日に家に呼んでもてなす風習もあるみたいです。この辺は佐渡と同じですよね~。

七尾に舞い戻って七尾城に登りました。標高で言うと300メートルくらい。結構蒸し暑くて大変でしたよ。実はこの日大雨の予報も、あんまり雨は降らず、むしろ中途半端に日が照っていて蒸し暑くてたまりませんでした。大汗をかきつつえっさほいさ登ってこの眺望。大満足です。

七尾湾と能登島が一望できます!城主は能登畠山氏。中央の文化が能登国府七尾にももたらされたんですね。長谷川等伯もここの出身で、そういう文化に触れて育ったわけです。のちに上杉謙信に攻められて落城しますが、謙信はこの城に登って「霜は軍営に満ちて秋気清し・・・」と漢詩を詠んだというエピソードが有名です。謙信もなかなかこの城を落とすのに苦労したらしいです。ふもとに資料館があるので、立ち寄ることをお勧めします。出土品なども見られますよ。

七尾周辺はこのまりん号で色々行くことができます。1回100円なのでお得です。右回り、左回りで毎時1本ずつは来ますよ。

七尾市街地に戻り大地主神社に参拝。

もうすでに小さいサイズの奉燈が動いてました。ちなみにキリコ、ではなく七尾では奉燈と呼ぶのだと和倉温泉お祭り会館の方に教えてもらいました。

夜の祇園祭の様子は次の記事にて。

鉱山巡りシリーズ 秋田県・院内銀山(R5.7.2)

昨年の尾去沢鉱山に続き諸国銀山巡りシリーズ、今回は秋田県の院内銀山です。東大日本史の過去問で出てきたくらい有名な銀山です。電車を降りると異人館という施設があり、ここで色々展示を見ることができますよ。そして自転車も貸してもらえます。院内銀山までは山道を3キロほど登りますが行けなくはないとのことで、徒歩よりはよかろうと思い借りました。途中クマが出るとも限らないということで少しビビりましたが結果的にはセーフ。

羽後街道を登ること30分くらい、意外と早く着きました。銀山入り口からはこのような山道をひたすらさらに2キロくらい歩きます。今はただの山ですが往時は家が立ち並んでいたそうです。異人館に明治時代の写真がありましたが信じられないくらい家がたくさんありましたよ。佐渡相川でいうところの上相川みたいな感じですかね。しかしここは近代まで操業していました。

金山神社に到着まで2キロくらいです。誰にもすれ違いませんでした。9時半くらいにはなってたでしょうかね。

神社から明治天皇が訪れたという「御幸坑」まですぐです。立ち入りできるのはここまで。この上にも坑道跡があるみたいですが、整備されていないため立ち入り禁止でした。おそらくそこまで整備の手が回らないんではないかなと思います。年に一回金山神社のお祭りで院内銀山まつりというのをやっているみたいですが、それ以外の時期は基本的に静かなんだと思います。

小関清水の跡。小関太夫という遊女が銀山に来た際に坑夫と契りを交わしたものの、病気で死んでしまいました。坑夫は悲しみのあまり銀山を出奔してしまいました。小関を埋めたところからは清水が湧き出て、小関清水と名付けられました。それから30有余年後、銀山を訪れた僧侶が小関太夫を供養し南無阿弥陀仏と彫った石を立てました。

という話なのですが、実際に昭和に入ってからこの南無阿弥陀仏の石が出てきているというのが非常に興味深い話です。伝説が物的証拠の発見により裏付けられるという驚きがありますね。

麓に帰ってきて自転車を返却し、近くのほっと館という温泉施設を利用しました。いいお湯加減でゆっくり休めました。

院内銀山へ来たらぜひ異人館とほっと館へ!

酒田港 山居倉庫、本間家、海向寺など(R5.7.1)

山形・酒田といえば日本海側屈指の北前船の寄港地として栄えた湊です。特に豪商本間家は荘内藩主酒井家の財政の相談にも預かり、土地改良、砂防林の植林など酒田の地域発展に大きく寄与した名家です。旧本邸、その向かいの本店は公開されており、離れたところにある別邸は本間美術館となっています。その敷地には昭和天皇も訪れた清遠閣があります。

本間家旧本邸。印象に残ったのは展示されていた三味線・胡弓・琴で、胴の部分などに蓬莱島の彫刻が施してあったり、駒を入れておく箱も小さいながら絵が彫ってあり細かいところまで技巧の行き届いた素晴らしいものでした。こんな豪華な楽器は見たことがないくらいでした。酒田本間家の力を感じます。

本間美術館の国指定名称「鶴舞園」。

海向寺さんには2体の即身仏がおわします。忠海上人と圓明海上人です。この寺院からは初代、八代、九代と三人の即身仏が出ており、もうおひとりの鉄門上人は湯殿山注連寺に祀られているようです。係りのお姉さんが淡々と説明してくださいました。合掌。

そのほか昔の妓楼の跡を利用した山王くらぶ、という施設など見どころはたくさんありましたが残念ながらバスの時間が迫っておりタイムアップでした。山王くらぶさんではレンタサイクルを借りました。駅前の図書館と観光施設が一体となったところに返却可能でした。時間があれば一日滞在できる街だなと思いました。

出羽国大石田と新庄(R5.7.1)

自動車の免許合宿、出羽三山神社以来3度目の山形県でした。どこかにビューン2回目の行使です。山形新幹線つばさに初めて乗りました。

大石田という駅を引き当てました。銀山温泉に向かうためのバスはここから出ているとのことで小さい駅ながら人は割といました。最上川の船着き場が近くにあるので行きました。雨が前日から降っていたので濁っていました。

千本だんごというのが有名とのことで食べてみました。おいしい!あんも大量に。ティラミスだんごとかいろいろありました。10時ごろでしたがすごい行列で地元の人が車でやってきては10本くらいバサッとテイクアウトして帰っていくほどでしたので、名店なんでしょうね。

続いて在来線に乗り新庄駅へ。しかし途中の東北の山脈がそびえる光景というは何かこう神々しさを感じさせるものでした。もののけ姫に出てくる東国の風景そのまんまですよ。新庄駅では新庄まつりの山車がお出迎え。ここは新庄まつりくらいしかないからなあと駅中で日本酒を売っていた90いくつのおばあさんが言っていました。

新庄のふるさと歴史センターが非常に充実していました。何がって民具ですよ。地下に民具が大量に展示してあります。佐渡の宿根木の資料館みたいですが、資料の点数、充実っぷりが桁違いです。数万点くらいあると思います。ただ少し埃っぽいですが、これだけのものが展示してあるので仕方ないでしょう。倉庫で腐らせておくよりはまだいいかもしれません。

こういうのとか民俗学好きにはたまりません。

地上は新庄まつりの展示でこれもまた良き。佐渡もお祭りのことをもっとPRしてほしいですよねえ。鬼太鼓とかばかりじゃなくてさ……。

前年の祭りで優秀賞を獲った山車が展示されているみたいです。
奥羽西線が工事で運休、代替バスが出ているのでいったん新庄を後にして、酒田に向かいます。

郡上おどりin青山 佐渡はこのレベルと渡り合っていかなければならない(R5.6.16-17)

郡上おどりin青山も4年ぶりの開催です。

2日間とも楽しかったです。やはり郡上おどりの集客力は違いますねえ。青山で開催しているのは宝暦義民騒動で金森氏に代わり郡上藩主が青山氏に交代。その菩提寺があるのが青山だからです。

東京ではほかにも全国各地の盆踊りイベントがたくさん開催されています。高円寺阿波おどりなんかも有名ですよね。ゆくゆくは佐渡おけさもこういったレベルのよその踊りと競合し渡り合っていかなければならないのです。荒川佐渡おけさまつりというのが日暮里の冠新道商店街でコロナ前に開催されていましたが2023年はないようです。ただ、10月の池袋のふくろ祭りでは佐渡おけさをするそうです。そのような機会にこのレベルの人気を獲得できるのか?が焦点ではないかと思っています。

郡上おどりin青山では郡上の物産品を販売。岐阜県もブースを出し、大変にぎわっていました。演奏しているのも本場郡上八幡からはるばる来た保存会の方々です。佐渡および新潟県もそれくらい本気で佐渡おけさをPRしていく気があるのかというところですよね。

会場では特製の手ぬぐい、うちわも配っていました。1200円という強気の価格設定。私も買ってしまいましたよ。うちわにはちゃんと2023年の郡上おどりの日程が書かれていました。ここで宣伝し7月から本場に来てもらおうという流れが想定できますし相当の効果を上げているものと思います。

一方で佐渡おけさには本場に来れば見られるというようなものはあるでしょうか?盆踊り唄、または鉱山労働者の唄として広まった佐渡おけさを、お盆やお祭りの時に来れば本物が見られるでしょうか?そしてそれを見せてすごいな!と感動を与えられるでしょうか?結局は地元、本場が大切にしているかどうか、本気でその土地の唄・踊りと向き合っているかが問われているのではないかなと思います。人が少なくなって維持継承に難儀しているのは奥美濃の郡上だろうと佐渡ヶ島だろうと事情は同じです。

私はぜひ佐渡の民謡関係者にはよその取り組みや祭りを見てもらいたいと思います。民謡イベント、ステージばかり繰り広げていて大丈夫なのか?それで発展していくのか?先細りではないのか?将来をもう少しガチになって考えてもらいたいものです。

佐久・小諸・上田・戸倉上山田探訪(R5.6.10-11)

JRの東のどこかにビューンで佐久平駅を引きました。4月頭の踊り念仏以来の再訪です。

新海三社神社には前回行けなかったので参拝。いいですねえ~。

龍岡城五稜郭。実は函館だけでなく佐久市にも五稜郭があります。展望台までは急な山道を登りましたが何とか汗だくになりつつ登頂。確かに星形だあ。

続いて小諸市釈尊寺・布引観音。善光寺伝説の残るお寺で懸造りが有名です。しかもここに入れます。怖かったのですぐおりました。

信濃国分寺。徳川氏と真田氏の戦った上田合戦の主戦場はこのあたりだったとか。近くにあるのが激戦の地、神川です。

戸倉上山田温泉千曲川を大正橋で渡ります。小諸の観光案内所のお姉さんに、「一人で上山田に泊まるなんて贅沢だわあ」と言われちゃいました。でも泊まったのは安い宿ですよ。

上田城。この日は雨で海野宿まで歩くのは断念しました。また来よう!

北国街道で小諸に行った話を絵葉書に書いて祖父に送ったら、「昔『金の道』である言ったっちゃ。懐かしい」と電話で語っていました。そうそう、その当時は金の道で相川から日本橋まで400km歩いてたもんね。その時は北国街道を回ったんだな。確かに三国峠を越えるのは難しかろう…笑

おわり