海鳴の記

お祭り見物が趣味のディレッタント。佐渡民謡の担い手です。

第133回鉱山まつり無事閉幕

佐渡相川の夏の祭典といえば鉱山まつりだ。

 

明治19年に始まってから133回目、恩賜金記念祭と合わせて行われるようになってから123回目である。

 

今年は二日間出ることは叶わず、月曜2限の中国語のテストに泣かせられた。あと少しでテスト延期になるところだったのに、くそう。

 

この祭りは様々な問題を抱えている。2000年あたりに名前を「金山祭」にしたり、露天の会場を市街地から埋立地に持って行ったり、おけさパレードをみんなに強制したり、この10数年間鉱山祭実行委員会に振り回され続けてきた。

 

そして観光協会

「観光客を呼べない出し物は要らない」

「言うこと聞かないなら先導車両や申請は受け付けない」

などと相川小学校のマーチングバンドや保育園幼稚園の子供みこしに圧力をかけ、祭りをどんどん無理矢理に作り変えてきた。

 

おけさ流しの先頭に立っていた一斗缶は、下品だから使うなと言われ、テンポが速い賑やかなおけさには優雅でないからと文句をつけられ、まさに横暴が何年も続いた。

 

しかし今年の祭りを見て思ったのは、そんな人工的に無理矢理祭りを変えるのは無意味だと言うことだ。

 

毎年毎年寂しくなっていくね、そう言う声をよく聞いてきた。

 

でも3年続けて夜中の午前0時におけさ流しは出たし、今年は一斗缶を復活させて6年目、ついに3分団だけでなく他の団体でも一斗缶を見かけた。

 

3分団と5分団で共同で輪踊りをした時はみんなで盛り上がって、鉱山まつりはこうでなくちゃ!となった。5分団の一部の人はその後もう一回濁川まで流しに来てくれた。

 

相川の人は本当におけさ流しを大切にしているし、おけさ流しがやって来るのを心待ちにしている人だってたくさんいる。

 

だからこうして今年みたいに盛り上がれたんじゃなかろうか。まだまだ元気のある人はたくさんいるわけだし、私もいい意味でもっと祭りバカになりたい。

 

そして鉱山まつりの精神がよくわからない、地元の人の感情をないがしろにして平気で踏みにじるような団体が祭りを運営していることにみんなうんざりしている。不満を持っている。

 

もうこれ以上鉱山祭りを衰退させない、運営者の意向なんて知るもんかというその心意気を感じられて本当に感動した。

 

そして、0時からおけさ流しをやったり上町に流しに行ったりして皆さんに喜んでもらえて本当に光栄だ。

 

そうだよそうだよ鉱山まつりはこうだったんだよと、みんな納得するようにおけさ流しと向き合っていた。

 

みんなでワイワイ盛り上がって日頃の悩みや苦労なんか吹っ飛ばしてしまおうという、鉱山労働者がまだおけさ流しをしていた頃の姿ともしかしたら重なっていたのかもしれない。

 

維新に入ってから盆踊りが禁止されたが、鉱山祭りのおけさ流しの始まりとともに禁止令は効果をなさなくなったと聞く。

 

上の人がどうのこうのじゃなくて自分たちのやりたいようにやる、それでいいじゃないかと思う。

 

地元の人が不満を抱いてやる祭りよりも、みんなが笑顔で楽しくやっている祭りの方が観光客が集まるものに違いない。

 

Twitterで知り合った人も、おけさ流しは本当に楽しかったと、見応えがあったと、祭りの喜びであふれているんだと、そういう感想を言ってくれる。

 

祭りの方向性は迷走したままだが、少しずつでもこれから直して、また昔みたいにみんなでお祭り騒ぎがしたい。

 

だんだん変えていかなければならない、これ以上の横暴を許さないためにも。

 

 

第133回鉱山まつり、本当に皆さんには感謝したいことだらけです。1日しか出られませんでしたが本当に最高でした。佐渡牛乳さんのトラックはじめ多くの自動車の方におけさ流しの為に道を譲っていただきました、一斗缶はお寿司屋さんにいただきました、BUNZOおけさ会の方々にも誘っていただいて夜中の流し本当に楽しかったです、そして3分団と郵便局の方には1日で帰る私のためにも輪踊りを最後してもらいました、道で見ていた旅館の浴衣を着た観光客の方は無理矢理私が流しに引きずり込んでも喜んでもらいました、そして私の偉大なる先輩方は仕事も忙しい中おけさ流しに付き合ってもらいました、本当に本当に全てに感謝しています。

 

来年も再来年も、もっともっと良い祭りになるよう、そして昔の人に負けないような元気のある祭りにしていくために、今年以上に祭りバカになって頑張っていこうと思います!

 

鉱山まつり万歳!相川町万歳!おけさ流し万歳!佐渡鉱山万歳!

 

 

とりあえず七月近づいたらスクワットして二日間持ちこたえるくらい足を鍛えないと…