海鳴の記

お祭り見物が趣味のディレッタント。佐渡民謡の担い手です。

最近の鉱山祭のこと おけさ流しの行動範囲編

先月、しばらく論評は控えたいと表明しましたが、友人M氏から鉱山祭の様子を教えてもらって、色々考えてしまいました。最近はやや力が回復してきたので、ぼちぼち論評を再開していこうと思います。

 

今回は「おけさ流しの行動範囲編」です。

というのも、最近は流しが見られる範囲がどんどん狭くなっているなと感じるからです。

公式的には北は濁川、南は海士町川の南北2kmくらいがその「行動圏」となっているわけですが、近ごろはこの範囲を全部流して回る団体はほとんどなく、途中で引き返したり、自分たちの住んでいるところだけであったり、そういう傾向が見られます。

これは非常に悲しいことです。私は、いまの鉱山祭の最大の問題点は、お祭りをやっている区域がほんの一握りに限られていて、ちょっと離れたら全然祭らしくない、静まり返っているということだと思っています。

特に古い町並みが残っているとかなんとか言って観光に利用されまくっている京町の一帯などは酷い限りだと思います。普段の日常とほとんど変わりない状況になってしまっています。

それが近年は下町も同じで、場所によっては流しがほとんど来ません。観光サイトでは「全町をあげて」などと毎年毎年同じ定型文がコピペして使いまわされていますが、全町をあげて、など一体どこの話なのか分かりません。

中心部だけが盛り上がり、にぎやかだけど、ひとつ隣の町に行けば別世界のように静かというのはとても寂しいことです。そこに住んでいる人たちが流しを心待ちにしているのに、目の前で引き返してしまうということも目にします。こんな状況で誰が祭りを楽しいと感じるのでしょうか。

この中心部だけ、にぎやかなところだけ、端っこの人が少ない所は行かなくてもいい、という考え方は、そのまま拡大すれば今の日本の地方の衰退という社会問題に繋がっています。簡単な話で、端っこをどんどん切り捨て切り捨てしていった結末に、自分たちが「最前線」「辺境」になり、見捨てられる側になっていく、ということです。

私はいつも流しに出る時、

「さあ御番所橋いく?大工町行く?」

とどこまで行くかみんなに問うのですが、だいたい笑われて流されます。

私は冗談でこれを言っているわけではなくて、そのあたりに住んでいる人にも祭りを実感してほしくて、楽しんでほしくてこれを言っているのですが、あんまり理解されません。疲れるから、遠いから嫌みたいな雰囲気になります。

そもそも、歩いてもそんなに遠くないですし、直線距離にしたら2kmもない道のりの、どこがそんなに嫌なのか分かりません。

実は、私はこういう他の人たちが流しに行かない所の方に流しに行く方が好きです。ちゃんと待ってくれる人がいて、喜ばれて、頑張ってねと声をかけてもらえるからです。お互い力をもらっているなと常々思います。

その人たちの嬉しそうな顔は、鉱山祭で流しに行くときにしか見られないものです。どんなに新しいイベントをたくさん企画しても、この喜びには代えることができないはずだという自信を持っています。それくらいおけさは相川の人にとっては特別な民謡なのです。

だから私はこれからも積極的に「辺境」を志向します。そして流しをする人たちにはぜひこのことを分かっていてもらいたいですね。もうひと頑張りして隣の町まで、あそこまで行こうよと言いだす人が増えてほしい。尤も、コロナ前は少しずつ分かってもらえているんだと実感するようなことがありましたが、それはまた今度書きます。