海鳴の記

お祭り見物が趣味のディレッタント。佐渡民謡の担い手です。

「佐渡島の金山」の今後

文化庁の審議会が「佐渡島の金山」を選定すると答申を出した。

 

www3.nhk.or.jp

文化庁は、選定は推薦の決定ではなく今後政府内で総合的に検討すると異例の注釈をつけていて、

 

と、外務省が韓国政府側の動きに配慮してこのような形式になったそう。

 

そうならそうと明言すればよいのに、「そうらしいよ」で議論が勃発しているのがまず気持ち悪い。

 

それは措くとして、以前この問題の論点を記事にした。

 

t.co

 

当該記事でも言及しているように、朝鮮人労働があったこと、もしくは徴用であったことが理由で世界遺産にならない/なるべきではないと考えているのだとしたら、韓国政府の主張は間違いである。負の側面と史的価値は別々だからである。

 

ただこれに関して韓国政府の対応にやたらと反応して

「ひがみだ」とか「ストーカーだ」とか言うのも間違っているよなあと思う。

 

これも当該記事で言及したことだが、労働力不足を補うために朝鮮人労働者を徴用ないし強制的に労働を継続させた時期が存在するのであり、それを踏まえればそのような表現はふつう出てこないと思う。

 

増産体制を支えてきた背景には朝鮮人労働者による労働力の補填があるのは事実で、ついでにいえば佐渡で暮らした朝鮮人が差別の被害に遭ってきたのも事実。

 

現今の韓国政府の主張はおかしいことだが、それに呼応する日本国民側の意見も同じかそれ以上におかしいのではないか。

 

この人たちは韓国政府の対応がおかしいことに乗じて排他的な感情を爆発させているだけなように見える。

 

それは巡り巡って課題の解決から遠のくことを意味しているのであって、結局は彼らにとって「佐渡島の金山」などどうでもよいということを表している。

 

ではどうすれば良いのだろうか。

 

まず、彼我の歴史認識が、かつて支配者/被支配者という関係にあった以上、完全に一致することは到底不可能であると考える。

 

であれば、やはり異なる複数の歴史記述を併存させていくしかないのでは?

 

そうしたプロセスを含めての外交と対話なのでは?と考える。

 

もちろんNHKの記事で木村幹教授が言うように、あらゆる解説文に朝鮮人労働のことを載せるのもやはり違和感があるというか、馴染まないので、そこもネゴシエーションで線引きを作っていくべきなのかなと思う。

 

現在行われているのはただの排他的感情に基づく殴り合いで、極めて非生産的では。