海鳴の記

お祭り見物が趣味のディレッタント。佐渡民謡の担い手です。

In the Forest

上相川地区をご存知だろうか。

 

上相川地区は相川鉱山の近くに江戸時代初期に形成された集落である。

 

17世紀の初めに相川鉱山が発見されてすぐ、近くの台地に「町」が生まれ、「上相川千軒」と呼ばれるほどの一大集落へと発展していった。

 

が、やがて下町へと都市の中心が推移していき、わずか1世紀でこの集落は衰退したらしい。

 

現在はタイトル通り森林と化しており、わずかに石垣の跡や陶器などが出土するのみとなっている。

 

その上相川に行ってきた。

 

行き方は簡単で、ゴールデン佐渡第3駐車場、つまり金山茶屋があるところの背後の山から登る。

 

「茶屋坂」という急な坂を一気に登るとそこから上相川地区である。

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「奈良町」という看板がお出迎えしてくれる。

 

上相川にも町名がたくさんある。ほとんど鉱山に由来する町名である。

 

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ひげ題目の書かれた大きな石碑の脇の階段の登ると、寺町へと続いている(らしいです)。

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縦に大きく抉れた石に「専照寺」と彫ってある。専照寺は万行寺と合体して「万照寺」となり、今は諏訪町にある。

 

専照寺は、なんでも越中砺波から来たお寺らしい。

 

砺波から移住してきた人々がここに普請したのだろうか。

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無残なことになっているが「相川町」と書いてある。

 

そもそも「相川」という地名はここが由来らしく、川が二つ合流するところからきている。

 

「鮎」が住むから「鮎川」→「相川」というのは俗説だと、昔の相川町報に載ってました。まあ諸説あるんでしょう。

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お地蔵様の鎮座まします地点で分かれ道になっている。

 

左に行くとゴールデン佐渡の近代遺産コースの真っ只中に出てしまい、不法侵入になります、途中で引き返しましょう。

 

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佐渡マチュピチュ」らしいです。

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石垣の中に石臼あり。

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鉱山火薬庫跡。誤爆した時に備え、掘り下げられたところに建てている(上から水をかけて消火できるように)。

 

この上に行くと旧大山祇神社があり、そこに能舞台があったとかいう話だが、もちろん今は一対の壊れかかった灯籠があるのみ。

 

さらに登ると沢根の鶴子銀山へ行く道、金北山へ登る道にも行けるし、おなじみの二つ岩大明神の少し上あたりにも出ることができる。

 

が、大山祇神社へと登る階段が倒木に遮られていたため断念。

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墓の跡。

 

「××縣金澤村」と彫ってある墓石もあった。

 

ちなみに今週末3/31で佐渡鉱山は閉山三十年を迎える。

 

鉱山町は今後どのような道を歩んでいくのだろう。

 

皆さんも一度上相川を歩かれると良いと思います。山登りなのでそれなりの装備をした方が良いです。沢根鶴子から踏破することも可能ですが、道を知っている人と同行すること勧めます。迷う確率が高いので。

 

もっとキレイな写真が見たいという方はこちら方のブログを参照して下さいませ。

http://sado2008.jugem.jp/?eid=1495