海鳴の記

お祭り見物が趣味のディレッタント。佐渡民謡の担い手です。

飛騨神岡 カミオカンデの町(R5.5.2)

GWといえばお祭りシーズンである。そこで八尾に4月に行ったとき、八尾曳山祭りのポスターが目に入り、5月3日と知ったので、先輩を誘い富山に行くことにした。その際、松本から乗鞍岳を超えて飛騨に出るあの道を通ることにした。先輩としては旧安房峠を通りたかったようだが積雪のためまだ封鎖中であった。平湯温泉で高山ではなく神岡の方へ高原川に沿って下る。高山の方を流れているのは宮川で、高原川と猪谷で合流して神通川となり富山湾へそそぐ。スーパーカミオカンデでお馴染みの飛騨神岡にはそれを説明する施設が付随した道の駅がある。

そこに寄ったところ、なんと太鼓台を引きながら闘鶏楽の装いをした子供と獅子の一団がやってくるではないか!なんだなんだと聞いたら今日はお祭りなのだそうだ!これは完全に予定にない出来事だったのでラッキーすぎる闘鶏楽とは飛騨地方に伝わる芸能で、高山祭では「カンカコカン」と言われているあれである。鉦をたたくんでそのように通称されているのだろう。しかしこの鉦の音、ちょっとうるさい笑。耳にキンとくる音なのだ。まあそれはそれとして獅子舞を披露してくれた!

2人獅子で曲芸のような技を披露してくれた。結構面白かったのでざるをもって立っているお姉さんにわずかばかりの花代を渡した。きっとこの人の子供も闘鶏楽に参加しているのであろう。

道の駅の近くに国史跡江間氏館跡もあった。この地は古くは高原郷と呼ばれていたようだ。ここを見ている最中もお祭りの太鼓と笛の音は聞こえてきた。この近くの加茂若宮神社のお祭りの日だったようだ。

神岡もなかなか面白そうな土地だったのでいつか再訪したい。この地は神岡祭り、神岡しょっしょ、船津盆踊りなど見るべきものが多い。神岡鉱山跡も魅力的である。ちなみに、日本の公害として有名な富山のイタイイタイ病は三井の神岡鉱山の未処理排水が神通川に垂れ流された結果起きたものである。カドミウム汚染による因果関係が地元の医師に立証されるまで三井金属はシラを切っていた。ほかの公害病もそうだが、知らぬ存ぜぬで押し通そうとしたから世間から不信感を買い、ひいては今日福島原発の処理水の排水の遅れにつながっているのではなかろうか。もちろん筆者はトリチウム水の安全性に理解を示しており、放出を決めた後菅内閣には一定の評価を下したいと考えているが、一方で国や大企業の口にする「安心・安全」に対する不信感がいまだに根強いことも忘れるべきではない。それは今経営している人たちの責任ではないところも含まれているので難しい所と思う。そんな神岡鉱山は閉山したが、坑道はニュートリノの観測施設、スーパーカミオカンデとして役に立っている。この研究でノーベル賞を受賞した梶田隆章氏のパネルと写真を撮れるブースも道の駅スカイドーム神岡にあるので、みんな行ってみよう。なお、現地や英語の発音ではノーベルではなく「ノベール」と発音するそうだ。

越中八尾、初訪問(R5.4.15)

高山祭を見物した翌日は雨で屋台の運行やからくりの披露はなし。ただし屋台蔵の中でからくりをやっていたようだ。Twitterで見たが高山祭は「二日間のうちどちらかは雨」というジンクスがあるそうだ。なるほどね。というわけで高山本線に乗り越中八尾に移動。ここは言うまでもないおわら風の盆をやるところだ。八尾は飛騨から進出してきた聞名寺の寺内町として発展し、商工業、特に蚕紙や製紙工業で栄えた町だ。富山といえば農家の副業の薬売りが有名だがその薬を包むための紙はここ八尾の紙が丈夫ということで使われていたのだそうだ。

高山本線富山行の特急ひだは外国人で大混雑しており、自由席車両では立っている人もいた。八尾まで1時間半くらいあり、私は友人と半分(というより6:4で自分)ずつ座っていた。隣に座っていたハイキングと思しきご婦人は混雑ぶりに驚いていたが、高山祭でこんなに人いるんですよと言ったら納得していた。

車内では飛騨古川祭りが4月19、20日にあることをアナウンスしていたので、来年はこちらを見たいと思っている。なぜなら今年は平日だったが来年は金、土にかかるからだ。

上の写真は特に八尾で有名な諏訪町で、日本の道100選にも選ばれている(そんなリストがあるのもここで初めて知った)。見ての通りいい街並み。景観に配慮し電柱が地中化されている。風の盆の時は特に混雑しそうだ。

ちなみに八尾の民家には見てわかる通りうだつが取り付けられている。これは火事が燃え移らないための一種の防火壁の役割があるらしい。なお、佐渡相川の家にはうだつは見かけない。理由は不明。

ここがその聞名寺。見ての通り屋根がでかいこの脇の東町(で合ってる?)から登ってくるときにあまりの屋根の大きさにびっくりした。大寺院だ。

おわら資料館にも行った。越中おわら節といえば富山を代表する有名な民謡のひとつであり、非常にレベルの高い難曲である。これを9月の風の盆で各町内が歌い、踊る。筆者の記憶では新潟でも風の盆のCMが流れていた。「越中立山、加賀では白山…」と歌い、「富山の夏、日本の夏」とナレーションが入っていたような気がする。しかしその頃は子供でこれがおわら節などとは知る由もなかった。

そこに歴代のポスターが飾ってあるが、どれも傑作だ。変な合成写真などにしなくとも、素の写真がそのまま広告になるのが素晴らしい。これは常々言っていることだが、いいお祭りというのはポスターもいいのだ。特に自分はシンプルなのが好きだ。そしてポスターを眺めるだけでも楽しい。佐渡相川鉱山祭のポスターはちゃんと保存してあるのだろうか?こういうのももれなく民俗資料と考えている筆者にとってはそこは大いに疑問な点だ。それにしても、2018年前後の鉱山祭りのポスターは特にひどく、毎年使いまわしか、上半分に花火の切り抜き、下は踊り手を横から撮影した暗い写真でひどかった。シンプルなポスターほど難しく技巧が必要なのかもしれない。そう思うと風の盆はますますすごい。まあ、比べてもらっては失礼と思われるかもしれないが、筆者は鉱山祭り・相川祭りは全国に名をはせるほどの大祭に列挙されても不思議ではないと考えているのでこれくらい許してほしい。

そんな越中八尾のおわら資料館は大人210円で入れて面白いので八尾に行ったら寄りましょう。

八尾の近くを流れる井田川。おわら節にも唄われている川である。神通川に合流する。

高山本線越中八尾駅の駅舎にもポスター!

 

春の飛騨高山祭 前編(R5.4.14)

ご存じ日本三大美祭のひとつ、春の高山祭である。濃飛バス京王バスが共同運行する高速バスで新宿から高山へ。バスは満席。「今日明日高山祭で、明日は雨の予報のため本日大変混雑いたします」という運転手のアナウンス。こういうイレギュラーな放送はとても祭りの気分を掻き立てられ、楽しい。松本から高山へは乗鞍岳安房峠をトンネルで超えた。しかし高山市内は車の混雑は少なく、時間通りに駅前に到着したのが13時ごろ。

陣屋の前にはからくりを披露する翁台・石橋台・龍神台が集結。これはすごい。豪華な山車にすでに人が集まっており、向かいの建物の2階にはテレビカメラが設置されていた。

いったん日枝神社に参拝した後、からくりを見物。なるほどこれはすごい技術だ。龍神台はちょっとアクシデントがあったもののテグスでこれを操るのは相当の技術がいる。観客の数もすごい。1時間ほど場所取りで待っていたが、身動きもおいそれと取れない混雑ぶりであった。梨泰院の事故のこともあり、高山の警察もさすがに人流のコントロールに一生懸命だ。高山警察のアナウンスでは韓国語を話していた。英語でも中国語でもなく。しかもこれが文章を読み上げるようなものではなく、結構流暢なのだ。この警察官の趣味だろうか?最後に「……高山警察署でした」といった時には拍手があがったほどであった。それにしても外国人が多い。目立つというのもあるだろうが、体感では半分以上が外国人だったような気がする。

町中をうろうろしてみた。神幸行列に遭遇した。飛騨の伝統芸能である闘鶏楽もいた。しかしこの神輿、すごく豪華だ。1トンはありそう。さすがに担いではいなかったが。山車祭りのあるところは山車に人出がとられるため、神輿は人力で担いでいない場合が多い。

いったん市内のホテルにチェックインし(安かったが屋根裏部屋のような部屋だった)テレビをつけるとローカルテレビ局がどこもかしこも高山祭のライブをしていた。これはすごいなあと思った。夕方、誘った友人がはるばる佐渡からやってきた。小木直江津航路がまだ復活していなかったために新潟周りで来る羽目になり、今頃着いたのだ。この時ほど小木航路の必要性を実感したことはない。友人と日枝神社にもう一度参拝し、いよいよ6年ぶりという夜祭に向かう。コロナだけではなく天候などもあって6年ぶりなのだとかいう話だ。夕方になるにつれ神社からは人がほとんどいなくなり、陣屋周辺に大量の人が押し寄せていた。提灯が山車に飾り付けられ、火が入れられていく。この時の光景の美しさ、高揚感は言葉で伝えられるものではない。いよいよ始まるという張り詰めた空気、興奮と期待が空中に見えるくらい漂っている。これがお祭りなのだ。その辺の量産型商業イベントとは違い、祭りの雰囲気は町中にプンプン漂い、人を興奮させるのだ。そういうのは伝統的なお祭りにしか出すことができないと思っている。

先導は獅子組。獅子は露払いのためこういう場所では必ず先頭を飾る。しかし何頭いるんだこれ。中は子供たちらしい。笛に合わせて舞う。

山車が来た。お囃子に合わせて。息をのむような美しさだ。残念ながら私のiphoneSE債2世代のカメラではほとんどその魅力を伝えることができない。

これはレべチですわ。3時間ほどもずっと見物していた。

夜祭もクライマックス。最後は屋台の曳別れで、これが一番面白かった。各々が各自屋台蔵に帰っていくのだが、そのルートも何か意味がありそう。あっちに行ったりこっちに行ったり。何か唄を歌いながら動かしていた。これは曳別れのときにしか歌っていなかった。民謡に詳しいSNSで知り合った人から、これは「高い山」だと教えてもらった。ああ、高い山から谷底みれば・・・のあれか!と思った。しかしこれ全然見ていて飽きない。思わず泣きそうになってしまった。それくらい美しい光景だった。単に屋台が豪華というのではなく、大勢の観客と、一生懸命屋台を引く高山の町民の感情が伝わってきたからだ。コロナがもう終わりに向かっているというのもあり、6年ぶりというのもあり、本当にこの空間は感動で満ち溢れていた。こういうのは見ている人にも伝わってくるものなのだ。

結局10時過ぎまでずっと見物して、入浴時間が23時までだったので名残惜しく旅館まで帰った。当然夕飯など食べていない。居酒屋ばかりでご飯を食べるところがあまり残っていなかった。とりあえず入ったラーメン屋で無口で愛想のない店主(自分でそう書いたと思われる張り紙が店内にあった)のつくるニンニクのきついラーメンを二人ですすった。これはベトコンラーメンといい、中部地方では有名なのだそうだ。

ともあれこれで長い1日目が終了した。翌日のニュースによると、この日高山には9万8千人が訪問したという。よくホテルが取れたものだなあと思う。規模、観客数、壮麗な屋台、どれもこれもレべチであった。

大島山瑠璃寺の獅子舞(R5.4.9)

飯田線下市田駅で降りて大島山瑠璃寺へ丘を登ること40分。なかなか有名なお寺らしい。ダイドーの「日本の祭り」の取材でテレビが来ていた。何人もクルーを連れて。
行事は「ししのゆらい!」と称して女の子2人が出てきて巻物を読み上げることから始まった。

そして上の写真の陵王の舞。一度途絶えたが復活させたそうだ。

そして宇天王が出てきた。獅子が起きると一行は寺の境内から薬師堂の方へ移動を開始。

山門から出てくるところ。屋台が中に入っているので結構大変そうだった。何かの棒が軒先につっかえて、屋根が少し持ち上がるくらいだった。

薬師堂の中でも舞。しっぽに生えている竹で作った獅子花は、最後に倒していた。見物客はそれに群がっていた。縁起ものなのだという。

大島山のものは、前日に見た牛牧のものよりもお囃子が激しくなかった。その分格式があり、舞楽の系譜を継いでいるといった感じだ。牛牧は動と静がはっきりしていた。獅子頭の振り方も違っていたようだ。

サービス満点のおさるさん。瑠璃寺の境内には日枝神社もある。それでおさるさんが!この棒の先っちょについている御幣の紙をちぎり、鼻をかむしぐさをして子供たちに配っていた。ちなみに、牛牧にもいた。こちらはおしりを拭くしぐさもしたりしていて面白かった。

南信州伊那谷の獅子舞。初めて見たが大変面白かった。さすが民俗芸能の宝庫ですね。

長野県飯田市 市街地(R5.4.9)

南信州の獅子舞見物のついでに飯田に。

追手町小学校の校舎は登録有形文化財

飯田城の赤門。建築当時と同じ場所に現存する飯田城の建築物はこれしか残っていない。東大の赤門くらいしかほかに現存する例が思い浮かばない。

柳田国男館。砧にあった柳田邸、通称「喜談書屋」を移築したもの。中には無料で入ることができる。しかも館内には民俗学関連の本がいっぱい!もっと長く滞在したかったが列車の時間の関係上さらっとしか見ることができなかった(@_@)

飯田駅。りんごの町ですね。

このあといよいよ瑠璃寺の獅子舞へ・・・・・・

南信州高森町 牛牧の屋台獅子(R5.4.8)

元善光寺参拝の後、牛牧神社まで歩きました。河岸段丘の台地の上まで歩くので結構ありました。着くと結構準備が進んでいる感じでした。この日は宵祭が14時からあり、本祭りは9日でした。

屋台獅子とはこの時初めて聞きましたが、獅子の中に屋台がまるまる入っているこの地方特有の獅子舞のことらしいです。大型バスのように長くて大きい獅子舞で圧倒されました。獅子頭も立派です。何より持ち手が獅子の脇についていて、こんなの初めてみました。

写真右にいるのが「宇天王」でこれが暴れる獅子を操るというストーリーのようです。

両脇にいるのが鬼?で、うおおおおおなどと言って境内を駆け回っていました。これは厄払いか何かでしょうか?それにして大迫力で圧倒されました。獅子頭も重そうでしたがよく振り回せるものです。さすがにこまめに中で交代しているようでしたが……。

牧区では独自のHPを作っているようです↓

分かりやすくて助かりますね、こういうのは。

高森町 牛牧区

 

元善光寺参り(R5.4.8)

南信州、長野県飯田市坐光寺にあるのが元善光寺。ここに当初善光寺如来は示現なされ、そののちお告げにより今の長野市善光寺のところにお移りあそばされたという話です(間違ってたらすみません)。

飯田線元善光寺駅から歩いてすぐですが、この日は中央高速バスで中央道高森停留所で降り、そこから40分ほどかけて歩いて来たのです。何を隠そうこの日は南信州伊那谷に残る独特の芸能「屋台獅子」が行われる日。祭りが始まる15時くらいまで暇なので歩いて元善光寺に参拝したというわけです。

規模は現・善光寺より小さいですが、こちらも多くの崇敬を集めているようでした。お戒壇巡りもしてきました。

この日は牛牧神社の屋台獅子を見てきたわけですが、それは別の記事に譲ります。

飯田で一泊したので飯田線元善光寺駅で電車に乗りました。昨年11月の奥三河の花祭以来の飯田線で、今回は長野側です。飯田まで結構近く、15分ほどだったかと思います。