海鳴の記

お祭り見物が趣味のディレッタント。佐渡民謡の担い手です。

春の飛騨高山祭 前編(R5.4.14)

ご存じ日本三大美祭のひとつ、春の高山祭である。濃飛バス京王バスが共同運行する高速バスで新宿から高山へ。バスは満席。「今日明日高山祭で、明日は雨の予報のため本日大変混雑いたします」という運転手のアナウンス。こういうイレギュラーな放送はとても祭りの気分を掻き立てられ、楽しい。松本から高山へは乗鞍岳安房峠をトンネルで超えた。しかし高山市内は車の混雑は少なく、時間通りに駅前に到着したのが13時ごろ。

陣屋の前にはからくりを披露する翁台・石橋台・龍神台が集結。これはすごい。豪華な山車にすでに人が集まっており、向かいの建物の2階にはテレビカメラが設置されていた。

いったん日枝神社に参拝した後、からくりを見物。なるほどこれはすごい技術だ。龍神台はちょっとアクシデントがあったもののテグスでこれを操るのは相当の技術がいる。観客の数もすごい。1時間ほど場所取りで待っていたが、身動きもおいそれと取れない混雑ぶりであった。梨泰院の事故のこともあり、高山の警察もさすがに人流のコントロールに一生懸命だ。高山警察のアナウンスでは韓国語を話していた。英語でも中国語でもなく。しかもこれが文章を読み上げるようなものではなく、結構流暢なのだ。この警察官の趣味だろうか?最後に「……高山警察署でした」といった時には拍手があがったほどであった。それにしても外国人が多い。目立つというのもあるだろうが、体感では半分以上が外国人だったような気がする。

町中をうろうろしてみた。神幸行列に遭遇した。飛騨の伝統芸能である闘鶏楽もいた。しかしこの神輿、すごく豪華だ。1トンはありそう。さすがに担いではいなかったが。山車祭りのあるところは山車に人出がとられるため、神輿は人力で担いでいない場合が多い。

いったん市内のホテルにチェックインし(安かったが屋根裏部屋のような部屋だった)テレビをつけるとローカルテレビ局がどこもかしこも高山祭のライブをしていた。これはすごいなあと思った。夕方、誘った友人がはるばる佐渡からやってきた。小木直江津航路がまだ復活していなかったために新潟周りで来る羽目になり、今頃着いたのだ。この時ほど小木航路の必要性を実感したことはない。友人と日枝神社にもう一度参拝し、いよいよ6年ぶりという夜祭に向かう。コロナだけではなく天候などもあって6年ぶりなのだとかいう話だ。夕方になるにつれ神社からは人がほとんどいなくなり、陣屋周辺に大量の人が押し寄せていた。提灯が山車に飾り付けられ、火が入れられていく。この時の光景の美しさ、高揚感は言葉で伝えられるものではない。いよいよ始まるという張り詰めた空気、興奮と期待が空中に見えるくらい漂っている。これがお祭りなのだ。その辺の量産型商業イベントとは違い、祭りの雰囲気は町中にプンプン漂い、人を興奮させるのだ。そういうのは伝統的なお祭りにしか出すことができないと思っている。

先導は獅子組。獅子は露払いのためこういう場所では必ず先頭を飾る。しかし何頭いるんだこれ。中は子供たちらしい。笛に合わせて舞う。

山車が来た。お囃子に合わせて。息をのむような美しさだ。残念ながら私のiphoneSE債2世代のカメラではほとんどその魅力を伝えることができない。

これはレべチですわ。3時間ほどもずっと見物していた。

夜祭もクライマックス。最後は屋台の曳別れで、これが一番面白かった。各々が各自屋台蔵に帰っていくのだが、そのルートも何か意味がありそう。あっちに行ったりこっちに行ったり。何か唄を歌いながら動かしていた。これは曳別れのときにしか歌っていなかった。民謡に詳しいSNSで知り合った人から、これは「高い山」だと教えてもらった。ああ、高い山から谷底みれば・・・のあれか!と思った。しかしこれ全然見ていて飽きない。思わず泣きそうになってしまった。それくらい美しい光景だった。単に屋台が豪華というのではなく、大勢の観客と、一生懸命屋台を引く高山の町民の感情が伝わってきたからだ。コロナがもう終わりに向かっているというのもあり、6年ぶりというのもあり、本当にこの空間は感動で満ち溢れていた。こういうのは見ている人にも伝わってくるものなのだ。

結局10時過ぎまでずっと見物して、入浴時間が23時までだったので名残惜しく旅館まで帰った。当然夕飯など食べていない。居酒屋ばかりでご飯を食べるところがあまり残っていなかった。とりあえず入ったラーメン屋で無口で愛想のない店主(自分でそう書いたと思われる張り紙が店内にあった)のつくるニンニクのきついラーメンを二人ですすった。これはベトコンラーメンといい、中部地方では有名なのだそうだ。

ともあれこれで長い1日目が終了した。翌日のニュースによると、この日高山には9万8千人が訪問したという。よくホテルが取れたものだなあと思う。規模、観客数、壮麗な屋台、どれもこれもレべチであった。