海鳴の記

お祭り見物が趣味のディレッタント。佐渡民謡の担い手です。

2022年の鉱山祭と相川祭り

年末なので2022年の振り返りを思い出したかのようにやる。相川の祭りと言えば大きいものが二つある。もちろん7月の鉱山祭と10月の相川祭り(善知鳥神社祭り)である。鉱山祭に関してはこのブログで再三紹介しているから今更取り上げるまでもないと思ったが、2022年どうだったかを少し書いておきたい。少し、というのは自分が参加していなかったからである。

今年鉱山祭はいちおうコロナ前と同じ感覚で開催されていたわけだが、決定的に異なるのはメイン会場で、屋台などは浜公園に移した形で開催。食の陣というイベントと同時開催であり、食の陣の屋台を持って祭りの屋台に変えた形であろう。だがメイン会場が羽田でなくなったことから街中は閑散としてしまった。2008年のあの年を思い出させるような鉱山祭りであったことは間違いない。流しもまばら、というか片手で数えるくらいしか通らなかったようで、コロナ前とは程遠い、もはや鉱山祭りと呼べるのか分からない代物になりつつあるようだ。同日、北沢でも何かやっていたそうだが、情報がなくよく分からない。お客さんを取り合うような形にして、いったい何がしたいのか。おそらくそんなに盛り上がらなかったのではないか。

というのが鉱山祭りの伝聞で、この目で見たわけではないからよく知らない。が、だいたいさびれた祭りになってしまったというのは90%くらい当たっているだろう。上の人は世界遺産だと言って騒いでいても、肝心の佐渡鉱山のお祭りとはこんなのものである。この現状を聞いて、いまや貴重な純相川産のおけさの唄い手でもある私は、ほんなら来年はきちんと出ないといかんと思ったのであった。

そして本題の相川祭りであるがこちらは3年連続の中止である。実行委員会、というか善知鳥神社総代会の方も、自信がないのであろう。10月頃はやや感染も落ち着いていたが(第7波と8波の谷間だったが佐渡はそこまで減らなかった)、問題はコロナがどうこうではなく、人を集める自信のなさではないかと筆者は推測する。総代会はもとより、棒組、つまり神輿の担ぎ手を集めることが非常に難しくなっていることは間違いない。コロナ前からそうだったのであるが、コロナという小休止をはさみ、なおかつ中止という選択肢も残っている状況で、総代会に実行に踏み切るだけの自信とやる気がなかったのではないか。担ぎ手集めには実際毎年苦労しており、県職のいかにも力仕事が苦手そうな人が押しつぶされそうになりながら担いでいたのをよく覚えている。

筆者も総代会のことはよく知らないのだが、脱退するときは代わりの人を見つけるというルールがあるらしい。これが原因で総代と呼べるような威信とやる気のある人が集まる会というよりも、もはや町で少し有名なおじさんたちが言われるがままに任されてしまった会、というのが実態ではないかと思っている。まあ中には昔から善知鳥神社の総代という人もいるのかもしれないが、顔ぶれを見る限り大半は頼まれて集まってきた人、というのが実態ではないだろうか。要するに愛着がない人たちなのである。事務仕事流れ作業で毎年の10月19日をやりくりすればいいというような調子だから求心力の低下が甚だしくなるのも当然であろう。

コロナで中止するのは、借金を先送りにするようなもので、再開に向けたハードルはどんどん上がっていく一方である。既に各行事組は毎年連綿と受け継がれてきた技術のノウハウ、祭り開催のための知識や技能が下の世代に受け継がれず、また自分たちも記憶があいまいになっていることであろう。下り羽や獅子や太鼓などは小中学生の力が非常に大きかったが、今の小学生はほとんどその経験がない。中学生も、コロナ前を知る世代がこれで完全に消えてしまったため、次回の相川祭りはまず間違いなくどこの組も苦労することになる。コロナで苦労するのに加えて、である。そう考えた時、小規模でもいいから少しでもいいから再開しようと決断した他所の集落は先見性があったと言わざるを得ないだろう。

仮に来年や再来年、いやもっと先に相川祭りが再開されるようなことがあったとしても、それはもはや筆者が知っているあの相川祭りとは違った光景になるのではないかと危惧している。神輿は人が担ぐのではなくなっているかもしれない、送り提灯もほとんどいないかもしれない。件数が少なくて門付けもあっというまに終わってしまうかもしれない。いや、もしかしたらどこかの行事組はもうやめてしまうかもしれない。そういう焦りのような感情を持っている。いやいや、もっと言えば、もはやあきらめというか、どうその状況を受け入れていけばよいかというステージに上がろうとさえしている。どうあがいてもかつての相川祭りを見ることはできないのだ、というのが現実になろうとしているからだ。

2023年の世界はどうなるのだろう。コロナはもはや脅威とは呼べなくなり、コロナ前のような世界に戻るのだろうか。そうなったとしても、相川の祭や行事は戻ってくるのだろうか。再開を前に、私たちには、もう一度賑やかな祭りを作り上げようとするだけのパワーとエネルギーが残っているだろうか。

世界遺産を目前にしても、現実はこんなものである。