海鳴の記

お祭り見物が趣味のディレッタント。佐渡民謡の担い手です。

2022年共通テストの日本史Bを解いてみた

2022年共通テストの日本史Bを解いてみました。

3年前、大学1年生の時にも解きました。その時は82点。

今回はその時以来です。

結果は、、、76点。前回よりダウンしました。

現役の時は97点でしたので、順調に下がっている模様。

解いてみた感想ですが、私が現役の時より資料文読解の問題が増えているような気がしました。

それと、リード文の中にヒントがあったり、全体的に読む量が当時より増えているように思います(きちんと確かめなければなりませんが)。

それと、読解力さえあれば知識がほとんどなくても解ける問題がいくつかありました(私が受けた時は倫理政経がそんな感じでした)。

資料読解力と知識が身に着いているかを適切に測るものが良いテストだとするならば、このような傾向はやや資料読解に比重が置かれているような気がしないでもないです。

まあ私は点数を見ていただければわかるように専門家でもなければ、教育系のアルバイトをしているわけでもないので、そのあたりは異論がたくさんあると思います。それは言い過ぎだとか、点数低すぎwというご批判は甘んじて受け入れる方針です。

なお、誤答箇所は以下の問題番号です。

 

4番 嵯峨天皇親王の名前に関して、正しくは唐風文化が見られるというものでしたが、和風を選んでしまいました。弘仁・貞観文化の特徴は唐風文化にありました。平安時代=国風文化で選んでしまいましたが、確かにリード文ではこの頃まだ遣唐使が廃止されてなかった……。

5番 これは納得いかなかった。米英に宣戦布告すると勝利を祈願するものが優勢に、とあるが、日中戦争の頃から「勝」が優勢になっているので間違いか?と踏んだら誤答に。確かに太平洋戦争開戦以後「勝」が一位になっているし「勝利」なんかも見えているのは確かだが、うーん。。。

14番 馬借の拠点が大津などとなっているのを違うんじゃないかと思い誤りにしてしまった。正しかったみたい。網野善彦の本を読み返したいと思います。

19番 天保頃の一揆世直し一揆ではなかった。少し考えれば分かることなのに。。。

23番 日清修好条規の内容を覚えていなかったのでミス。このあたりは現役時から不得意でした。

29番 年代整序でミス。段祺瑞政権への西原借款の入る場所を間違えた。それ以外は7月に中公新書の『日中十五年戦争史』を読んでいたので分かった(負け惜しみ)。

30番 松川事件の写真とドッジラインが結びつかなかった。近現代史を学びなおそう。

 

ちなみに、大問1は氏名がテーマでしたが、ちくま新書から2021年の春に出た『氏名の誕生』という本が大変面白いのでおススメです。Amazonのリンク貼っておきやすね。

氏名の誕生 ――江戸時代の名前はなぜ消えたのか (ちくま新書) | 尾脇 秀和 |本 | 通販 | Amazon

 

次は世界史も解いてみようかなと思います。