海鳴の記

お祭り見物が趣味のディレッタント。佐渡民謡の担い手です。

『写真が語る佐渡の100年』の記述の誤り・未確認情報覚書

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『写真が語る 佐渡の100年』2021年、いき出版。

このほどいき出版から刊行された写真集、『写真が語る佐渡の100年』をご恵投たまわった次第、いやはや貴重な写真がたくさんでとてもよい記録になっていると感じている。

が、しかし、写真についているキャプションに誤っていると思われる情報も少なくない。まあこの手の本はだいたい曲解や誤解に基づく説明が付されているものも散見されるのが常で、その見方からすれば少ない方なのかもしれない。私も写真提供者だが、2度にわたり説明書きがこれで正しいかどうか、編集者の方から確認の旨が来て、間違いを数点指摘したことがある。執筆者一覧を見ると名だたる郷土史家の名前が並んでいるが、さすがにかの先生方も佐渡の隅々を見て聞いて回ったわけではあるまい。従って写真の解釈に誤解や曲解が生じたとしても仕方ないのである。問題は解釈という行為に付きまとう限界に気づいているのか、読み手も含め自覚しているかどうかだと、私は考えている。

さてこの当記事では私が読んでいて引っ掛かったところ、これはおかしいのではないかと思った箇所を指摘していきたいと思う。それも解釈のひとつである以上、限界があるとは思うし、気付かなかったところも後から出てくるかもしれないが、違和感を表明しておくことは大事だろう。

※とは言え、基本的に相川地区のことしか分かりません。

著作権の関係上、当該写真はアップロードしません。確認は各自でお願いします。

 

①p63下の写真 塩屋町の街並みの説明が誤り

原文「相川塩屋町の街並み。コマヤ商店の隣で建物を解体しているところに……」

→屋号が「コマヤ」ではなく正しくは「ゴマヤ」だったと記憶。

②p64下の写真 本当にこれは相川の下戸町か????

原文「相川の下戸町か、左の郵便局には『折戸郵便局』の看板が見える」

→本書でいちばん怪しく、かつ判定が難しい問題写真。昭和51年、相川郷土博物館提供となっているが、私は思うにこれは下戸町の写真ではないと思う。いまの下戸郵便局は下戸仲之町にある。いまから40数年前にどこにあったのかは不明だが、この写真のように川沿いにあったとは考えづらい。そもそも、この川はいったいどこなのか、海士町川にしては川幅が広くて整備されすぎている。大仏川にもこんな場所はない。

そもそも、郵便局の名前からしておかしい。「折戸」ではなく「下戸」が正しく、公共施設である郵便局が表記を間違えるとは思えない。

私見だが、これは石川県能登半島にある「折戸」の風景だと思われる。能登半島はしばしば佐渡とつながりが深い土地とされ、折戸のように佐渡と同じような地名がいくつかあるそうだ。現在も折戸簡易郵便局があるらしく、近くに川も流れている。

map.japanpost.jp

提供は郷土博物館、するとこの写真は昔能登に調査か何かで行ったときの写真なのではないか。相川の下戸町付近とするのは無理があるだろう。いずれにしろ検討を要する写真であることは間違いない。

③p65下の写真 説明間違い

原文「相川の京町通り。(以下略)」

→この写真は京町ではない。門前の大安寺の石畳から海側の江戸沢を見た写真。前頁p64の上の写真が江戸沢町で、まさにそこを大安寺側から撮影したものである。

④p95左の写真 説明に未確認情報

原文「遊郭だった水金町の大黒屋。(中略)通りは本町通りとよばれていた。」

→水金町の通りを「本町通り」と称したということは、聞いたことがない。水金町のことを指して「でぇもん(大門のこと、入り口に大きいもんがあったのだろう)」や、「赤線(下相川の人から直接聞いた話、歓楽街のことを指すのだろうか)」と呼んだということは聞いたことがあっても、「本町通り」と称したのかは不明。出典が知りたい。

なお、この写真は私が提供したものだったが、確認用の文書で既に「本町通り」と書いてあるのを見落としていた。

⑤p138中央&p139下の写真 記述未確認情報

p138-9の見開きには右上の両津夷のものを除いて4枚、相川の市の写真が出ている。私が気になったのは記述に「羽田一町目で10日と22日に開かれれる町市」とある箇所で、10日と22日に羽田で市があるのは以前からそうなのだが、問題は一町目でも市が昔はあったのか?という点で検討を要する。たしかに、p138中央は一町目のつるやの前に金魚やが出ていたりと、市のような雰囲気のある写真となっている(昭和55年)。以前、10日には裏町で金毘羅神社の前あたりまで市が出ていたと聞いたことがあるし、別の何かの写真集でそれを見たことがあるが、一町目で市が出ていたかは今後確認しなければならない。

⑥p238上の写真 場所が違う可能性

お盆の灯籠流しの写真で、灯籠を手にした人が浜で流している風景。問題は場所で、説明では「大間地区のお盆の灯籠流し」となっている。が、相川の大間の港なのかどうか微妙なところ。たしかにp68の上の、埋め立て前の大間付近の写真と見比べると、それっぽい浜辺ではあるのだが、私はこれを達者だと見ている。

その根拠は、『佐渡相川の歴史』の相川の民俗Ⅰの巻頭写真の箇所に、達者の一年の年中行事が載っており、そこに達者の灯籠流しの写真が2枚載っていることにある。島外ページの写真は提供が相川郷土博物館となっており、相川町史に使われた写真の別バージョンが本書に乗っているのではないかと推測する。達者の浜にも相川の大間の浜にも見えるので、可能性の次元でしかない。写っている人が達者の人かどうかで判断するしかないだろう。ちなみに、管見な限りこの形式の灯籠流しは旧相川か達者でしか、少なくとも相川地区内では行っていないはず。旧相川では下相川、大間、下戸の浜でそれぞれ灯籠流しをした。

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以上、今後の課題も含めて6か所指摘した。全体的に見て興味深い写真集であることは間違いないので、皆さんも手に取ってみてほしい。なお、価格は9990円となっている。