海鳴の記

お祭り見物が趣味のディレッタント。佐渡民謡の担い手です。

佐渡鉱山における朝鮮人労働者問題の「論点」

佐渡鉱山の遺跡群は「佐渡島の金山」として世界遺産登録を目指しており、年内に国内推薦を得られるかどうかが焦点となっている。

そして韓国の外交部の当局者が「関連動向を注視している」と語ったというニュースが流れている。

news.yahoo.co.jp

なぜならば、佐渡鉱山には明治末から戦後にかけて朝鮮人労働者が動員されたからである。そしてこれが強制労働か、徴用か、賠償はどうだ、というような議論がネットで取り沙汰されている。これは今に始まった問題ではない。

今回は朝鮮人労働者の問題に関する論点と私なりの考えを書く。

まず、Twitter(に限らずWebの掲示板やSNS)で、朝鮮人労働者はいなかった、もしくは徴用ではなかったという意見があるが、これは誤りである。

その根拠は新潟国際情報大学の紀要にある、広瀬貞三の論文である。

https://cc.nuis.ac.jp/library/files/kiyou/vol03/3_hirose.pdf

この論文は佐渡鉱山における朝鮮人労働者の実態を研究したものである。それまでも郷土史などで朝鮮人労働者のことに触れているが、主題として扱い、研究されているのは管見の限りこの論文が初めてであろう。

まず三菱鉱業所佐渡鉱山に送り込まれた朝鮮人労働者は約1200名にのぼり、彼らは「募集」「労務協会斡旋」「徴用」により送り込まれた(うち1000名が「募集」による)。

三菱佐渡鉱山が朝鮮人労働者の募集を始めたのは1939年の2月からで、敗戦が近づく1944年の9月から「徴用」となったようだ。

農村疲弊などの影響もあって当初の「募集」に応じざるを得なかった朝鮮人は多かったようだが、労働期間の契約は3年であったという。

しかしながら契約期間が過ぎても三菱鉱業は「兎モ角全員就労ノ事」とて継続を図っていた。「募集」と言って始めたものでも実態は強制労働と変わりがない。しかも終わりの1年間は「徴用」になっている。

なお、動員された朝鮮人労働者は「運搬夫」「鑿岩夫」「支柱夫」などの比較的危険な作業に従事していたという。地下足袋などの作業用具も給与から天引きされており、逃亡する者もいたため特高警察らから監視を受けていたという。

以上のことから言って、まず佐渡鉱山における朝鮮人労働は事実であり、徴用であるのも事実である。労働の実態も搾取と言ってよいように思われる。

従って、この件に関して朝鮮人労働を否定したり、徴用を否定したりすることはできない。朝鮮人労働者と彼らの徴用は事実として認めなければならない。

そして、給与が出ているからとか、社宅が提供されているからという理由でこれを正当化することもできない。徴用や契約期間を過ぎての労働、危険作業への従事は植民地住民に対する差別的態度であるし、三菱鉱業所当局には朝鮮人に対する激しい差別意識があったことも相川町史に載っていることである。

ただし、労働の実態としては日本人労働者もかなりの搾取をされていたものと予想される。いずれにせよ労働条件に関して良い印象は抱かない。

 

ただし、私がここでもうひとつ論点として挙げたいのは、朝鮮人労働者問題と、世界遺産登録の是非、または賠償責任問題とは切り離して考えるべきだということである。

世界遺産登録運動の是非と、朝鮮人労働者の問題とはまた別である。徴用があったからといって世界遺産へ認定されない、もしくは価値が認められない、ということはあるべきではないように思う。賠償責任問題に関しては、三菱鉱業所との問題であって、これも世界遺産とは関係がない。

だが同時に、世界遺産に登録されてほしいから、もしくは賠償責任はないから、という理由で徴用を否定することもできない。

気を付けるべきなのは、徴用を事実として認めることである。それはつまり、植民地住民に対する差別と人権侵害の歴史があったことを認めることであり、もっと言えば、当時の金の増産の結果もそのような内外の労働者からの搾取の上に成り立っていたことを認識するということである。巡り巡って、そのような悲惨の上に今があるのであって、それに想いを馳せることができないのならば、歴史的価値を論じる資格はない(テッサ・モーリス=スズキの『過去は死なない』という本では「係累」という概念が出てくるので、ぜひ読んでもらいたい)。

以前から、佐渡鉱山のイメージを改善するためとて、江戸時代の無宿人は犯罪者ではなかったという言説が積極的に宣伝されているし、「ゴールドラッシュ」「近代化」などの語彙によって栄華の面ばかりが強調されているように筆者には思われる。

だが、歴史のある土地には、悲しいこと、目をそむけたくなること、後ろめたいことがあるのは必然である。人間が住んでいるのだから当然のことである。豊かさや華やかさばかりの歴史があるとすれば、それは一党独裁国家の権力者が作らせた歴史か、もしくは歴史のことなどどうでもよい、それで金儲けができれば良いと考えている人の考える都合の良い歴史なのであって、いずれにせよ真摯に土地の歴史に向き合っているとは言い難い。

それからもうひとつ、インターネットの根拠のない放言やデマを聞きかじって植民地化の歴史を全否定し、もしくは差別的感情によって罵倒しながら当問題をあれこれ論じている人々も、大変見苦しい。どんなにヘイトスピーチ的言説をたれ流そうと、あるいは朝鮮人を罵倒しようと、植民地の歴史は消えないし、「徴用」という事実もなくならない。

というより、本件についてインターネットで韓国政府や韓国の人々に対して侮蔑的なコメントをしている人の大半は佐渡鉱山のことなどよく知らないし、世界遺産もどうでも良いと考えている人ではないだろうか。彼らはただインターネットで見知った事実により「目覚め」、架空の表象を頭の中で作りだして他国人民を見下したいだけなのである。感情を否定しようとは思わないが、事実を否定することは不可能である。

 

最後に論点をもう一度まとめよう。

佐渡鉱山における朝鮮人労働者の「徴用」は事実である。

②「徴用」と世界遺産登録への是非、賠償責任はそれぞれ別の問題である。

③「徴用」とそれによって恩恵を受けたという歴史的事実は認めるべきである。